小学生の質問

先日、小学生たちの児童絵画教室を担当した。




以下は今時の小学生たちの、「習い事」の現状。

 小学高学年女子A 「なんで人殺したらあかんのやろ。」、「先生、死んでぇ。」(続けて数度同発言)、「地獄ゾーンを決めな(いといけない:関西弁)。」、意味もなく突然高笑いを始める。「バカらしいわぁ。」、「だまれ、あほぉ。」など。作品は未完成。

 小学中学年女子B 先生たちの指導に対し、常に「それがどうした。」と返答する。つまり、「はい。」というところを全部「それがどうした。当然じゃ。」と返事する。身体能力的な限界もあるが、作品を仕上げる気持ちは大きい。未完成。

 小学中学年女子C 他の女子からの影響を強く受けているが、制作活動に集中することができる。このことが他の女子たちの反感を買っているようだ。特に円座で昼食をとるとき、Cの発言は他の女子たちの会話から故意に弾かれ、「それがどうした。」「(小さな独りごととして)うるさいんじゃ。あほ。」と返される。女子Cはいたってマイペース。

 小学生高学年男子D 制作過程中、非常に集中して先生の話を聞く。要領の飲み込みが早く、制作も無駄がなく基礎から順序だてて構築することができる。女子の大声・奇声には全く関与せず。作品は時間内に余裕をもって完成することができた。先生の参考作品について、内部構造や素材の可能性をよく観察し、作品に反映させることができた。


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 女子は落ち着きがなく、主にテレビなど視覚メディアからの直接的な情報を、そのまま会話に反映させることが多く、大抵は質問・批判を発するだけで解決まで持ち込むことがない。無責任におしゃべりすることが楽しい(小学生中学年女子B)と明示。おしゃべりしていると「いい気分になる」とのこと。

⇒女性特有の性質。口先の軽い会話を続けることで、一種のストレス解消になる。結論は求めない。質問・意見のみを発信して、会話がすぐさま二転、三転する。

⇒見慣れない先生、見慣れない男子児童がいるだけでテンションが上昇したのかもしれない。粗暴な言動を楽しんでいる模様。女子Bが「家ではこんなことやったらしかられるわぁ。」と発言。つまり、家庭ではしかられることを、この教室では自由に発信し、そのギャップを楽しんでいるようだ。男性の指導者が1人いたら、状況は変わるのだろうか。

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【感想】
 物を作ることが好きな子どもは集中力が高い。限られた時間、空間、仲間、先生の中で、自然と物づくりに没頭し、よい作品を完成させる能力に繋がっている。このことは音楽、美術、習い事が好きな児童全般にいえることだろう。
 落ち着きがなく行動的、言葉が粗野で幼稚な児童は、外で遊びながら一般的な学びの中から様々な経験を経て成長するのだろう。うるさい環境を作り出す児童は、美術的・音楽的センスは乏しいと思う。
 反対に、静かに制作に没頭できる児童は、よい作品を生み出すセンスがある。これは創造の力は内からこみ上げる好奇心や楽しいと感じる心から生まれるからだと思う。

 いずれにせよ、現時点の神戸の小学生を持つ家庭環境では--震災後出生のため、経済的理由により両親が共働きで家庭にゆとりがない。離婚が多い。夢や豊かな心を育む環境が乏しい。--精神と心の生育バランスが特に悪いように感じる。
 中流・下流と言われる経済的レベルに加えて、情操に対する環境要因のレベルも極端化(二極化)している。
 何故人を殺したらいけないのか、本当に先生に死んで欲しいのか、発言は自己責任が伴う大変重要なことだという認識が培われることを祈るのみ。家庭教育力について国レベルの調査と教育・指導が必要。あと「ゆとり教育」の弊害について、国や行政は有効なレポートを提出してほしいなー。
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by nefeltahli | 2006-08-20 10:30 | 日々のメモ

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