時差ぼけの夢

時差ぼけなので、3時間眠っては目が覚める、
つまり、レム睡眠とノンレム睡眠のワンセット=3時間を見事に体現する2日間を送っている。





つくづく、私は健康睡眠派になったのだなーって思う。
以前は、特に中学・高校生・大学生までは、
徹夜で公園で友人たちと語り合ったり、飲んだり、
本を読んだり、映画を観たり、
ゲイダイセイにはつきものの不摂生な生活を見事に満喫していた。
しかし、交通事故で身体を痛めてからというものの、
「己の身を大切にする重要性」を実感し、
嫌煙派、アルコールオフ、そんなのは当然なこととして、フツーに生活している。

現代社会において、この「フツーの生活」というモノがとても貴重な「フツー」になっている。
むかーしむかしはこんなこと、なかったのになーって考えながら、
三時間前に床についたのだった。

そのときに見た夢。
さらにむかーしむかし、私たちが自然に対する畏敬の念を謙虚で純粋な気持ちでとらえていたころの情景が広がる夢だった。

--就寝前、縄文時代のことを考えていた。
私は二年前の今頃、図書館に通って最近の縄文時代の研究について結果を調べまくっていた。
そのとき縄文時代の生活システムについて、とても感心した。
やっぱり人間社会は「縄文時代」に倣わなければな、と思ったものだ。
そんなとき、このブログ社会で何人もの「縄文を考える人たち」に出会い、
なんともいえない感動と希望を持った、そんな素晴らしい経験があったのだった。

そんなことを考えて眠りに就くと、夢に縄文のイメージが出てきた。
映画「ギャベ」に出てくるような、自然の彩りのなか、稲作を知らない時代(とされる)の森の中に、
私はどんぐりを集めながら、可視光線の煌きを楽しんでいた。
一昨日帰国する飛行機のなかでみた、アメリカ・ディズニー版「南極物語」にあった、
取り残されたハスキー犬がオーロラの影を追いかけるように、夢の中の私も彩りの中に戯れていた。

こんな夢を見るといつも、「ああ、そうだったなぁ」という、妙に納得した気分で目が覚めることが多い。
何故だろう、ではなく、本当にそうだったのだ、というかすかな記憶。
m-RNAレヴェルの記憶とでも表現しようか。

さて、以下は縄文時代から弥生時代に移ったポイントのひとつである水稲についてのまとめ。
ちょっと思い出したので、部分抜粋して掲げておこうと思います。
稲作って素敵だわ。しかし様々な知恵を我々に授けすぎた部分も含んでいることも確かなのでしょう。

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 稲作農耕技術伝来のルーツを探る

 日本における稲作文化とは、土木灌漑技術、稲の栽培の知識と技術、農耕具とこれらを利用する人間との関わりによって総合的に連動しながら発達してきた、日本古来の独自の文化である。稲作農耕はどこからどのような経路で伝来したのだろうか。最近の研究成果を踏まえ考察する。
 巌文明氏は、中国稲作の起源はインド起源説・東南アジア起源説・華南起源説・雲南起源説のうち、現代では雲南起源説を主張する研究者が増えているという。巌氏自身は、長江下流およびその付近と華南にあるとしている。
 例えば、浙江省の河姆渡遺跡は最も年代が古く、紀元前約5,000年~4,600年と考えられ、稲籾と稲籾の炭化したものは120トン以上になる。同省羅家角遺跡からは古い稲が発見されたが、この二箇所の稲籾は主に秈稲(インディカ種)で、少量の稉稲(ジャポニカ種)の二種が発見された。
 特に河姆渡遺跡の稲の籾年代は非常に古く、形態はすでに成熟し、稉稲が分化している。農耕具も非常に発達していることから稲作の起源はさらに遡るとされている。
 しかし完新世早期の気候は気温が低く、稲の発育・栽培が長江周辺の野生稲とは考えにくい。もし稲作の開始年代が8,000年より遡るとすると、中国南方の華南が起源となる可能性も出てくる。
 このように中国大陸における稲作起源は、考古学的・生物学的・農学的見地から、パズルピースをひとつひとつ与えられている状態であり、一つの源流は見えてこない。
 では稲作は中国大陸をどのように伝播し日本に到来したのだろうか。諸説ある中、以下の三つのルートに大別される。

 ①中国揚子江下流域から直接伝わったとする説(中国直接伝播説)
 ②揚子江下流域から山東半島・朝鮮半島南部を経て伝わったとする説(間接伝播説)
 ③琉球列島を通じて渡来したとする説(海上の道伝播説)
 
 中国直接伝播説は安藤広太郎氏が提唱し、近年藤原宏志氏のプラント・オパール法(イネ科植物の葉に含まれるガラス質細胞の化石をプラント・オパールと呼ぶ)によって、約6,000年前の中国草鞋山遺跡が世界最古の水田跡として発見された。佐藤洋一郎氏のDNA解析法では、熱帯ジャポニカ種は中国・日本では発見されているが、朝鮮半島では発見されていないとしている。このことから日本の水稲(稉稲ジャポニカ米)が朝鮮半島を介さず、中国と直接深い関係にあることを物語っている。
 間接伝播説は考古学的な見地から最も支持されてきた。地理的に日本に最も近く、日本で発見された農工具は、朝鮮半島で出土された遺物と酷似している。しかし、朝鮮半島では水田跡は発見されておらず、日本の稲作の特徴である水稲文化の源流を求めることは未だ不可能である。
 海上の道伝播説は東シナ海の黒潮に乗って中国台湾から沖縄・奄美大島・九州へ海上交流によって経た道である。インドネシア在来稲ブルに近い原始的な稲が、この南島ルートに沿って九州に達したことは、DNA解析法によって間違いないとされている。当時、東シナ海沿岸には潜水漁撈を行い、船を巧みに操る海人集団が広く分布していた。彼らは中国側では「白水郷」と、『魏志倭人伝』では「倭の水人」と記され、新しい水田稲作の技術や沿岸漁撈文化などを、中国大陸沿岸から西日本へ伝えたと考えられる。また中国直接伝播説の「日本海を渡る」という、リスクの高いルートよりも伝播の確実性が高い。
 この他、佐藤洋一郎は遺伝学の立場から、温帯ジャポニカ米と熱帯ジャポニカ米が自然交配することによって遺伝的な多様性が広がり、その中から二世代程度(二年)で早世の系統が生じ、それによって稲の急速な北進が可能になったとしている。
 巌文明は稲の伝わる経路は、山東半島から一旦遼東半島を経由して、稉稲に単一化されたと主張しているが、佐藤は稲が朝鮮半島北部を経由した可能性はないとしている。
 いずれにしても、弥生時代に到来した稲作は水稲耕作であり、朝鮮半島南部を経由して凸帯文土器の時期にきわめて複合的な進化をしながら、伝播した各地を起点に日本列島全域に波及していったのである。



【参考文献】

『稲の日本史』 佐藤洋一郎著 二〇〇二年 角川書店
『稲作の起源を探る』 藤原宏志著 一九九八年 岩波新書
『考古学による日本の歴史二 産業一』一九九六年 雄山閣出版
「シンポジウム 日本における稲作農耕の起源と展開」 一九九一年 学生社
『朝日百科 日本の歴史一 原始・古代』 一九八九年 朝日新聞社
『倭国誕生 日本の時代史一』 白石太一郎編 二〇〇二年 吉川弘文館
『新しい研究法は考古学になにをもたらしたか』 田中琢 佐藤琢編 平成七年 クバプロ
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by nefeltahli | 2006-09-13 05:53 | oboegaki

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