YS-11機よ、ありがとう。

YS11、30日引退 唯一の国産旅客機、41年で
 唯一の国産旅客機YS11が、30日夕の沖永良部-鹿児島間の日本エアコミューター(JAC)便を最後に日本の定期航空路線から姿を消す。1965年の初就航から41年。日本のローカル路線を中心に、世界各地の航空会社でも導入され「丈夫で長持ち」と評された名機の引退を関係者は惜しむ。
 「国内には戦闘機の開発経験者しかおらず、旅客機の開発は苦労の連続だった」。こう振り返るのは59年4月、製造会社の日本航空機製造(日航製)に富士重工から出向し、設計を担当した鳥養鶴雄さん(75)。
 運航開始後も、湿気対策や手荷物入れの高さ調整など、航空会社から次々と出される要望に頭を悩ませた。「国産機育成のため、日航製と航空会社が一体になって取り組んだ。そんな時代だった」と懐かしむ。





先日、隠岐の実家に電話したところ、母が、

「今日はお父さんね、隠岐空港でお祭りがあって(イベントのことらしい)、
飛行機のコックピットに乗せてもらうんだって喜んで出かけていったわ。」

注)母、というかど田舎には「イベント」=非日常的な島民の会合=allお祭り、というほほえましい認識が今も残っている。私はこういうときにとても郷土愛を感じてしまう。

日本国広しといえど、私たち離島で暮らす人々ほど飛行機によく乗る人はいないと思う。
島といえばフェリーなどの海路を思い起こすのだろう。
しかし、この記事にある現在日航系傘下の日本エアコミューター(JAC)には、私は何十回搭乗したことだろうか。
こと、隠岐空港は島の南端にある絶壁地形を利用した空港なので、
ちょっとした時化(しけ)で欠航してしまう。
一説によると、「日本一着陸しにくい空港」なのだそうな。

小さなころは、まだ東亜国内航空時代だったけれど、この頃の航空機のimageはとてもよかった。
行き届いたサービス、朗らかな笑顔の「スチュワーデス」さん。
機体の尖塔部分下あたりには「ざおう」など、飛行機名の日本語名がついていて、

「今日乗るのも<ざおう>くんなんだなぁ~」

と、飛行機の名前に親しみを感じていた。
島と本土を結ぶ大切な運輸産業である航空会社に対して、
幼いながら、私は非常に尊敬のまなざしを抱いていたので、
就職活動のときは「とりあえず」日航と全日空を受け結果は見事に「×」。

今思えば、「空港のお祭り」はYS-11の引退記念イベントだったのだろう。
東亜国内航空時代から親子三代に渡り親しまれてきたプロペラ機、YS-11型くん。
国内生産の飛行機として戦後をしっかり生き続けていたことを決して忘れないよ~。
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by nefeltahli | 2006-09-30 11:18 | 日々のメモ

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